JAPAN as bad sign?
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さて、ジムにあるテレビではソフトボールの決勝を放映中。この時点では日本がアメリカに2-0でリードしていたが、雨のため試合は中断していた。再開されることを祈ってジムを後にして、自宅に戻る。すると、テレビでは日本ソフトボールチームの金メダルのシーンが映し出されていた。
いやー、よく勝ったものだと思う。上野投手の3連投については疑問符がつくが、この勝利そのものは素直に賞賛したい。正直に言って前日のオーストラリア戦を見たら勝てるとは到底思えなかったから。その3位決定戦については、新聞の一面に“死闘”の文字が躍り、賞賛の声が多かったが果たしてそうだったろうか。個人的にはあんなイラっとするゲームはそうはなかったと思っている。延長戦に入り、日本の攻撃はミスのオンパレード。力投する上野を見殺しにし続けた戦いぶりを考えれば、今日の決勝でのアメリカ戦は惨敗もあると踏んでいた。しかし、何はともあれ、ソフトボールの選手で頑張っている甥っ子もテレビの前できっとバンザイをしていたことだろう。内心もうないかなと思っていた日本の金メダルは、気がつけば9個目となった。
今回のソフトボール日本チームの勝利で感じたことがひとつ。それはあくまでもテレビを通じての印象だが、斎藤監督のリーダーシップというか、存在感が案外希薄だったということ。前監督の時代は「宇津木JAPAN」の活字をずいぶんと目にしたけれど、メダル争いが確実の注目競技にしては、今回は「斎藤JAPAN」といった呼び名はそう浸透していなかったはずだ。
記憶が定かではないが、古くはサッカー日本代表の「加茂JAPAN」あたりがその始まりか。チームスポーツにおける「○○JAPAN」は、得てして期待はずれに終わるケースが多いのは気のせいだろうか。「なでしこJAPAN」は健闘の部類だが、「反町JAPAN」「さくらJAPAN」「植田JAPAN」「柳本JAPAN」らは次々と散った。五輪には関係ないが、「岡田JAPAN」も期待できそうにないしなあ。
さて、明日は「星野JAPAN」の準決勝。呪われた(?)「JAPAN」に明日はあるのか?