Konan’s Champions
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興南といえば、ボクシングの元WBA世界J・フライ級チャンピオン、具志堅用高が同じ高校の出身。アマチュアではモスキート級のチャンピオンとなり、「100年に一人の天才」として鳴り物入りでプロ入りした当時のことは、ボクシングマガジンの愛読者だったのでわりとよく覚えている。私の記憶が正しければ、協栄ジムの金平正紀会長(故人)は、具志堅のリングネームを「海老原博幸」(同ジム出身の世界フライ級チャンピオン)にする愚挙をたしか企てていたはずである。もちろん、これは具志堅本人が頑なに拒否して実現しなかったが、金平会長がこの名前にこだわっていたのは後に、ソ連からの輸入ボクサーで元WBC世界フライ級チャンピオンの勇利アルバチャコフ(協栄ジム)が、一時期「ユーリ海老原」の名でリングに上がっていたことでもうかがいしれよう。
具志堅用高は今でこそ、テレビのバラエティ番組ではいじられキャラで通っているが、日本人のサウスポー・ボクサーではまぎれもない最強クラスの一人。当時新設されて間もない〝ジュニア〟の世界チャンピオンだったこともあり、世界的に評価が低いのは仕方なくもあるが少々残念でもある。日本人の世界戦最多防衛記録は立派だが、個人的には2階級制覇を成し遂げてフライ級のタイトルもぜひ取って欲しかった。
それにしても、スポーツの世界ではゴルフの宮里藍にしてもそうだが、沖縄出身の活躍が目立つ。ちなみに、これは個人的な話だが、これまで国内で旅行した最南端は、高校の修学旅行で訪れた鹿児島である。沖縄はマリンスポーツのメッカだし、釣りも楽しめるリゾート地でもあるが、なぜかその気が起きない。なんでだろう。ただ、ココはいつか一度くらい訪れてもいいかもしれない。